親切な先輩に感謝
ここで少し先輩の話をしましょう。
撮影班時の先輩は4人いて、みんないい人でした。
とくに親しくしてくれたA先輩は名古屋生まれの人。普通に大学を出て、別のアニメ制作会社で制作進行をしていましたが、激務のため2年で体を壊し、この会社に入ったそうです。ここはのんびりしていてよかったとか。
私は制作進行に憧れていましたので、A先輩に進行の仕事について色々聞きましたが、多くは語ってくれず、いつも一言、
「やめておけ」
でした。なんでも1ヶ月家に帰れず、それで体を壊したそうです。
もう1人はB先輩。スポーツマンのテニス好き。アニメも見るけど、仕事にするとは思わなかったと言ってましたね。私はこのB先輩とコンビで撮影していたわけです。
実は仕上げに回されたのは、私だけでなく、このB先輩も一緒でした。先輩には2年のキャリアがあるのに、それを捨てさせて、新しい仕事に移動させたわけです。
もちろん、2人はパニックになりながらも仕上げの仕事を頑張ってました。そうしたら翌月、私に「お疲れ様」と言い残し、B先輩は会社を辞めていきました。
何というか、とても悲しく悔しかったです。
仕上げ班になって、恩人と言える先輩は2人。
1人は色っぽいお姉さんC先輩。仕上げを実質統括している人です。この人から仕上げの技術を叩き込まれました。
28歳の独身、恋人なしと当人は言ってました。仕上げを行うのは女性が多く、出会いがないからと。私も男なので、お姉さん的なC先輩に憧れていて、期待半分教えてもらう時は楽しかったですね。
期待は妄想のまま終わったのですが。
もう1人は、私に仕上げの裏技や、手抜き方法を教えてくれたD先輩。
仕上げの最古参で、実質的なリーダーでありましたが、休みが多く、仕事はC先輩がメインで動いてました。
D先輩の休みが多いのは、他の制作会社でアルバイトしているからです。
本当はいけないことですが、社長からは見逃してもらっていたそうです。
D先輩は原画や動画も描けて、同人誌も作っている人でした。
彼の自慢は『●ガンダム』の仕上げをアルバイトでしている事で、一度見せてもらいましたが、影がついてかなり難しく、1枚でもかなり時間がかかりそうでした。しかもギャラは、うちの4倍とのこと。
それでも一般的な20代前半より収入は低くかったのです。
仕上げは女性が多い
仕上げスタッフは撮影より多く、D先輩と私以外は全員20代の女性でした。10人ほどいたと思います。
当時の仕上げが女性主体だったのは、今から思えば、手先が器用であることと、実家暮らしの方が多く、収入が低くても続けられたからと思います。
流石に、現在の仕上げはパソコン作業になっているので、スタッフの収入も安定しているかと思いますが(希望)。
私が入社して1年過ぎ、仕上げにも慣れた頃、私が通っていたアニメ専門学校からアルバイトとして女の子が入って来ました。
まだ10代後半のおとなしそうな子で、B先輩が辞めて空いた席に座り、私が仕上げのことを教えていきました。
他のスタッフは隣の部屋、私とB先輩が個室で作業していて、その先輩の空席に若い女の子が座ったのです。当然テンションも高まります。
女の子にはよく話しかけ、最初は仕事で困ってないか聞いたりしてましたが、最後は昔のアニメはよかったと自論を展開し、彼女を困らせてました。今なら明らかにアウトですね。反省です。
頃合いを見てアニメ映画に誘うつもりが、そのうち来なくなってしまいました。私のせいかと落ち込みましたが、学校にも来なくなった、別のアニメ制作会社にも入ってないとのこと。アニメ界から足を洗ったのかもと思うと寂しかったです。
職場を去っていく人たち
続いて憧れのC先輩が辞めました。
この会社に5年もいた大ベテランです。それを聞いて、寿退社かと思いましたが、家の近くにあるスーパーで働くとのことでした。また1人、アニメ界から消えていきました。
そして、C先輩が辞めて3ヶ月後ぐらいにD先輩も退職し、男は私だけに。D先輩は原画、動画もかなり描ける方なので、ひとまずアルバイトでそれをメインにやっていくとのこと。
社員と言ったって、給料はアルバイトより低いわけですから、いずれこの道を選んでいたでしょう。この会社には10年近く勤めている方でしたが、収入面は改善されず、結局去っていくことになりました。
これで、仕上げ班に残る男は私だけです。
下手なラブコメなら、そんな設定ありきたりだろうと笑われそうですが、実際にそんな境遇になっても、甘い話なんてありません。
仕上げ班は若い女性が多い職場です。先輩たちが抜けても10人ほど、20代の女性が頑張っています。私自身ラブロマンスを期待していましたが、実際にはそれどころではありませんでした。
C先輩、D先輩と続いて主力がいなくなったのです。私の同期で仕上げに入った女性が、仕上げ班のチーフとして動かすことになりました。しかし、まだそんなに経験を積んでいないので、当初は仕上げ全体が効率悪い作業を続け、しばらく忙しい毎日になったので個人的な会話さえ、この時はできないほどでした。
では、当時のスタッフがこの会社を辞めていく原因を、より具体的に説明します。これはあくまで20年以上前のことなので、多少改善されていると思いますが。
いやそうであってほしい。
まず給与はかなり低いです。私の初任給は10万円でした。
以前は新聞奨学生なので、自分のお金として10万持つのはこの時が初めてでした。
奨学生時代は、食費や家賃は専売所が直接買付や大家に払っていました。学費も新聞社からあらかじめ借りて、入学時に払ったのです。その借入金は無利子で、毎月返済として給料から引かれました。結果、現金でもらうのは毎月2万円ほどでした。
ただ、食住は満たされていたので、あとは本や服などを買う小遣いとなったので、特に不満はありませんでした。
なので、10万円の入った封筒を手渡しでもらった時は、素直に喜んでいましたが、世の中の大卒初任給は16から18万だったのです。
社員なのでどれだけ残業しても金額は変わりません。
私以外の仕上げスタッフ陣はかなり不満だったようです。
D先輩が別会社で、仕上げや作画のバイトをしていたのも、これが理由です。
残業はほとんど毎日で、2時間ほど。アニメ会社としてはそれでも良心的。夜食も月の半分だけでました。かけそば、かけうどんです。カップ麺じゃないのは、社長の私たちの健康に対しての気遣いかもしれません。
土日出社はなかったです。
撮影スタッフのA先輩いわく、この会社は他と比べてゆったりしていて過ごしやすい。その日のうちに帰れるなんて、この業界では贅沢なこと。と言ってましたね。制作進行していたことに比べれば、天国のようだとも。
そして、収入は低くても、好きなアニメに関わって仕事ができるのは満足しているようでした。
A先輩の当時の歳は25か26。若くして、天職を見つけたようですね。
ちなみに、撮影班の収入は仕上げ班より少し高く、13から15万ほど。
撮影班には「会社の主」とも呼ばれ、社長と同じ20年務める大先輩がいましたが、その方でも30万は貰ってなかったようです(大先輩がよく愚痴ってました)。
仕上げ班のC先輩はおそらく15万ほど。D先輩でも20万貰ってなかったと思います。
それで、当時残っていた仕上げ班は、まだ経験が1から2年だったので、おそらく10から12万ほどだったと思います。
実家暮らしや、女性の友達と同居している人ばかりでした。
少し脱線 私の食事情
単身独居は私だけでした。それでも家賃2万(大田区は家賃が安いです)の風呂無しアパート。食費もカップ麺とおにぎりがほぼ毎日。
若かったのか、これでもそんなに不服はなかった。
時々、昼食にコンビニで炊き立てご飯の大盛りとコロッケ1つを購入し、ご飯の上にコロッケを置き、ソースをコロッケとご飯にかけて食べる「コロッケライス」がちょっとしたご馳走でした。
でも、月に1度。給料日だけは贅沢をします。
近くに老人夫婦のやっていた中華飯店がありました。そこの、餃子とラーメンとカレーライスが私の定番のご馳走でした。
餃子は自家製で、少し大きく、一口で入れると熱々の肉汁が口に広がって火傷しますので、ちょっと時間を置いてから食します。ラーメンは単純な醤油ベースで、麺も自家製なのか少し太めで歯応えがありました。
いずれもすごく美味しいのですが、最高なのはカレーライスです。
おそらく小麦粉とカレー粉ベースなのでしょう、抜群のとろみと、適度にカットされた野菜や肉とが絡み合い、絶品です。辛くなく、野菜や肉の旨みだけが感じられるカレーでした。特に、にんじんがぶつ切りで入っているのですが、これが美味かった。にんじんを最も上手く料理する方法ではないでしょうか。
月に1回、この店に入るのが楽しみで、多少辛いことも我慢できました。今でも本当に感謝しています。
当時から10年ほど経ったあと、この店に行ったことがあります。
久しぶりに見た店は、外観が変わっておらず、涙が出るほど嬉しかったです。
もちろん入ったのですが、店の従業員は若いカップルになってました。注文品には、餃子はなく、仕方ないのでラーメンとカレーを頼みました。しかしラーメンもカレーも当時のものではなく、味も異なっていました。
店員の女性の方に、ちょっと話を聞いてみると、当時の店主だった老人夫婦のことは知らない、自分たちは5年ほど前からここで働いているとのこと。また、店主は別の店で働いていて、現在この店を切り盛りしているのはバイトとのことでした。
あの老夫婦から別れて20年以上経ちますが、あの時の味は今でも忘れられません。
かなり脱線してしまいました。すいません。
スタッフが去っていく理由とは
さて、スタッフ退社の原因のもう1つは、社長の評判が良くなかった。はっきり言って悪かった。社員のほとんどは、なるべく社長と会話しないようにしていたほどです。
何が問題か。それは、自分がどんな車や船に乗っているか、どんな高額の買い物したか、私たちに話しかけてくるんです。仕事中に。遅れたら残業なのに。もちろん自分は夕方帰宅です。人の給料が10万前後なのに、100万でボート買ったとか、今度車を買い換えようと思っているとか。
そんなことどうでもいい、が本音です。
さらに悪質なのは、ケチなこと。
あるとき、社長と私の2人で得意先にカット袋を納品に行った時のこと。 昼を少し過ぎたので、帰り際にラーメン店に2人で入りました。500円のラーメンを2人が頼んで、いざ会計する時、
「割り勘な」
「ハア」
拍子抜けしました。
この社長からは、コーヒー1杯奢ってもらったことないです。
先輩とはメシに行く時は、時々出してくれて非常に恐縮しましたが。
社長とは20年来の付き合いという、撮影班の大先輩も、社長から何ももらったことがないそうです。
最後は私が去る
さて、そろそろ私がアニメ界から足を洗う話です。
先輩たちからアニメ界の厳しさ、実際にベテランの主力社員が簡単にやめてしまう現実、自分たちの仕事がどれだけ単価が低いかなど、会社に2年いてわかってきました。
この時はまだ、あの社長が経営する会社だから、待遇改善は望めない。きっと、他の会社なら良い待遇に恵まれるのではと期待していたんです。
しかし、そんなに甘くはなかった。
後年だいぶ経って、私のこの時の希望は、別の会社に行っても大差はなかったとわかったのです。
あるとき、撮影班で私の同期だった人が辞めました。詳細は知らないのですが、鹿児島の実家に帰るとか。その人は農家の長男で、もしかすると農家を継ぐかもと言ってました。
撮影が、私が入る以前の人数以下になったので、もしや私は撮影に戻れるのではと、内心期待していました。
仕上げ班に1年以上いる私のスキルは、すでにベテランの域に達してましたが、女性が多い仕上げより、男の多い撮影に戻れるなら戻りたいと思ってたんです。
よく漫画やアニメなどで、女性ばかりの学校や職場がハーレムのように描かれますが、そんなことはまったくなかった。女性だけで結束していて、言ってきたことに逆らうものなら、女性陣から散々文句を言われました。なので基本、言われたことを着実にこなすだけです。まあ、私がイケメンだったら彼女たちの対応も変わったのでしょうが。
それに、やはり理由はどうあれ、降格されたイメージがあり、それを払拭したい思いがありました。
しかし、撮影に戻る期待は破られました。
その日も、朝出社すると社長に呼ばれました。まさかと、胸をドキドキさせて行くと、
「有澤くんは撮影には戻さないから。仕上げ頑張って」
と言われました。
きっと顔なんかに、撮影に戻れる期待感が出ていたのかもしれません。
この言葉で、私は決心しました。会社を辞めようと。
ここにいても、きっといいように使われるだけだろうと。
それに、この会社にある仕事内容は、大体覚えました。撮影はまだ中級ぐらいですが、仕上げはマスターしました。キャラの服の色は、毎回変わりますから色指定が必要ですが、顔や体、影は指定なしでも塗れるほどです。スピードも、他のスタッフより早く綺麗に塗れるので、仕上げに関してはエースになっていました。
そのため、ここで学ぶことはもうない。次へスキルアップするなら、今しかないと思ったのです。
それから2週間ぐらいたったでしょうか。社長に辞める旨を口頭で言いました。
「もっと早く言ってくれないと困るよ」
と言ってましたが、今の私には聞こえません。
それから実際に辞めるまでの数日間、仕上げの女性陣に別れを告げ、撮影の先輩たちにもお世話になったと頭を下げました。
この時、嬉しく思ったのは、撮影スタッフの先輩たちが本当に残念な表情を見せてくれたこと。撮影班には6ヶ月ぐらいしかいませんでしたが、みんな私に優しくしていただきました。
仕上げになってからも、ちょくちょく食事などに誘ってもらいました。現在でも良い思い出です。ありがとうございました。
あの人は今
さて、会社を辞めてすぐしたことは、電話です。
かつて仲の良かったB先輩に、会社を辞めたことを報告するためです。
B先輩は、私が会社を辞める時、必ず自分に電話してほしいと約束して退職して行きました。なので、2年たっていますが懐かしさもあり、公衆電話から電話しました。この頃はまだ電話を持っておらず、もちろん携帯は存在していません。
さて、実際に連絡してみると、出たのは先輩のお母さんでした。先輩は出かけていて留守とのこと。そのため、自分の名前と先輩に親切にしてもらったこと、今度会社を辞めるので先輩に伝えておいてほしいことを言って、電話を切りました。ちょっと拍子抜けですが仕方ありません。
その時の話では、先輩はアニメではなく不動産関係の職場で頑張っているとのこと。
自分も新しい職探しで、勇気付けられました。
それ以来、先輩とは連絡をとっていません。
今度の仕事は新橋
私は、今度こそ制作進行になろうと考えていました。
制作進行で体を壊したA先輩からは、散々恐ろしいことを吹き込まれましたが、とにかく1度やって見ないとわからないと思ってたんです。
本当に、この時の私は若かった。
夢だけははっきりと、何も怖いものはありませんでした。もちろん、将来の不安は当然、黒く重くのしかかってきました。ですが、それをも心の奥へ仕舞い込む強さが、当時の私にはあったんです。
そして具体的には、まず自動車免許を取ることを目指しました。
撮影会社では給料が安く、時間にも余裕がないので、制作進行に必要な自動車免許は取れませんでした。
今ならアニメ制作会社もバイク免許でも良いでしょうが、当時は何がなんでも普通免許と言われていたんです。なので、アルバイトでお金と時間を稼ぎ、免許取得を目指したのです。
アルバイト先は新橋にある倉庫でした。業務用コンピュータ部品を扱っていて、小さな部品から、数百キロある重さのものまで、冷暖房完備の倉庫で管理していました。
この仕事は楽でした。
時給は600円ぐらいだったと思います。時間は8時間で、日曜だけ休みでした。手取り13万。前職よりいい給料でしたが、教習所に通うほどの余裕はなかった。普通免許は20万ぐらいしたんです。なので、制作進行をやったつもりで、徹夜の作業も進んでしました。
でも、この時の徹夜って、朝になれば帰れるわけでもなく仮眠も取れません。36時間ぶっ続けの作業だったんです。帰宅した時は、食事もせずに倒れ込むように眠っていました。
これで手取りを16万ぐらいにし、ローンを組んで教習所に通いました。
この倉庫管理の仕事は、指示によって部品を倉庫の中から出して、トラックに積み込むわけですが、そんなに頻繁に指示が来るわけではなかった。30分に1回ぐらいで、大きい部品もありましたが、ほとんどは片手で持てる部品ばかりです。
たまに契約企業のコンピュータが停止すると、代わりの部品一式をどっさりと、しかも最短時間で用意する必要がありましたが、それだって1ヶ月に1、2回です。非常に居心地が良かったので、私に目標がなければこのまま倉庫の番人になっていたかもしれません。気がつくと、そのバイトを2年続けていました。普通免許は取得済みです。
このままバイトを続けるか、制作進行を目指すのか。
その結果は、『編集プロ編Ⅰ』に続きます。
【体験記⑨】転職サイトに載ってない職業体験(アニメ業界編Ⅱ)