【体験記④】転職サイトに載ってない転職体験(新聞配達編Ⅰ)

taiken

 よく眼にし、ウワサにも聞くが、実態は知らないという人は多いのではないでしょうか?

 これから紹介する日常は、もう20年以上昔なので幾分改善されていると思います。

 いやそう思いたい。

オラ東京さ行くだ

 高校を卒業後、関西の大学、もしくは警察学校に進むように言われていた私。

 関西の大学なら今からは難しいが、警察ならコネもあるしなど、けっこう具体的に親は私の将来計画を立てていました。

 今の子供でも同じでしょうが、そうした当人不在の計画は反発しやすい。

 特に昭和生まれなら、子供が親に反発するのは普通のこと。なので私も立派に反発して、まったく別の道へ行くことになりました。

 今は少し後悔していますが、警官には警官の苦労があるでしょうし、何より私に向いてません。

 さて、反発して何をするかというと、アニメ道です。

 昭和のアニメは、今でも時々日本人に心を揺さぶるのですから、当時リアルタイムで見ていた私には、これしかないと信じきっていたのです。

 でも当然ながら親から強い反対を受けました。警察とアニメを比べてみれば、当時の親なら100人いれば100人とも前者を選びます。なので私は親の援助を切り捨て、東京のアニメ専門学校へ行くのでした。

 親の援助なしで飯を食い、学費を出すなんてこと、高校を卒業したばかりの青年にできるのでしょうか?

 それが1つありました。今もあると思いますが、新聞奨学生制度です。

新聞奨学生とは?

 新聞奨学生とは、新聞配達しながら専門学校や大学の学費がもらえる制度で、住むところと食べることまで保証してくれます。

 結局、給料のほとんどが食事とボロアパートに消えるわけですが、多額の入学金をほぼ一括で払えるのが大きな魅力でした。

 しかし私は甘く考えてました。新聞配達を主婦や子供が小遣い稼ぎにしているので、たいして深く考えてなかった。でもこれが結構大変なんです。

 まず私が応募して、入った新聞店は東京広尾店でした。(当時は専売所といいました)

 当時の広尾は高級億ションと、1ヶ月2万ぐらいのアパートが混在するカオスな場所でした。

 隣のJR恵比寿駅なんて、駅員が切符を鋏で切ってましたね。

 大阪にいた時は自動改札しか知りませんでしたから、珍しく眺めたことがあります。

 私が独立して初めて構えた城は、新聞店近くの1ヶ月1.5万円のボロアパート。

 4畳半でトイレ、洗濯は共同。風呂なし。ガスと水道は各部屋にありました。

 食事は、朝と夜は賄いつき。家賃食費学費などすべて出してもらえます。その代わり朝刊夕刊を配るほかに、新聞代の集金作業があります。

 昨日まで家族と一緒に暮らしていた少年が、いきなり一人暮らしで働きながら学校で学ぶ。ハングリー精神を養うのに絶好の環境でしょう。ある程度覚悟はしていたつもりです。

 仕事といえば、コンビニバイトを少しやっただけのスキルです。そんな温室育ちの甘さを、これから痛感させられることになります。

新聞配達って

 新聞配達の仕事は単純です。

 朝と夕方に新聞を配るだけ。でもそれが毎日自転車で町中を10キロ走るとなったらどうでしょう。毎日毎日、雨の中、雪の中、台風の時も配りましたが、なんとも大変でした。

 雨に濡れるのなんてたいしたことないと思われがちですが、それまで雨の日には傘を差し、肩が少し濡れるだけでも失敗したと考えていたのです。それが、身体中びしょ濡れになり、体だけでなく、心まで冷えたようになれば、この仕事を楽しいと思えるはずがありません。

 専売所では雨ガッパを貸してくれますが、10キロを自転車走行しているうちに汗だくになってしまいます。雨で濡れるのと大差ないので、私は雨ガッパは使いませんでした。

 私の1日は深夜2時に始まります。

 起きて顔を洗って、2時半には専売所の前で、新聞を運んできたトラックを待ちます。そしてトラックから降ろされた新聞を専売所の中に入れるのですが、この時新聞から強いインクの匂いがして、できたての新聞をはっきり感じます。

 新聞にはチラシ広告がつきものですが、チラシはこの時、新聞内に手作業で入れていきます。大きい専売所なら機械で入れるのですが、ここは広尾一小さな店なので、すべて人力です。店が小さい分、従業員も配る数も少ないですが、その分広尾や恵比寿全体をカバーしていました。

 私の場合300部ぐらいを、広尾と恵比寿周辺の民家や店に配ります。それこそ裏道を自在に通って、少しでも効率よく早く配れるかを工夫します。

 特に広尾は案外坂が多いところなので、自転車ではけっこうきつかったです。

配るのは民家やお店がメイン

 チラシを新聞に挟み込んだら自転車に積んで配ります。

 およそ10キロぐらいの道のりを、1件ずつ配っていくのですが、なかには大変な家もありました。

 自転車も通れず200メートルぐらいの小道の先に家があったり、真っ暗で持っている新聞さえ見えない倉庫の中を通っていったり。ある古いビルには、5階でもエレベータのないところがあり、毎朝駆け登って配達していました。

 朝の3時ぐらいから始めて、6時過ぎに終わります。

 だいたい7時前に終わらせることがベストですが、私の先輩方はもう何年もやっているので、慣れているせいか6時ごろから始めて8時前には終わってました。

 新人だった私にはうらやましい存在でした。

体験記③】転職サイトに載ってない転職体験日誌

【体験記⑤】転職サイトに載ってない転職体験(新聞配達編②)

 

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