【体験記⑤】転職サイトに載ってない転職体験(新聞配達編Ⅱ)

taiken

朝刊配達が終わったら

    新聞の配達が終われば、朝食です。

 大阪出身の私が東京に来て最大の収穫と思ったのは、この時の朝食に納豆が出ていたことでしょう。

 専売所では毎朝納豆が出て、大阪人の私は最初の1週間は口にできませんでした。
でも、他に魚の缶詰と味噌汁しかオカズがなかったので、仕方なく食べたところ、今では私の大好物の1つになりました。
人生の中での出会いとは、本当に意外なものですね。

    朝食のあとは、部屋に戻って湯を沸かし、体を拭いて汗のベタつきを抑えた後、2時間ほど仮眠してアニメの専門学校へ行きました。

とある有名アニメ専門学校へ

   専門学校には、映像科、アニメーター科、声優科など、さまざまな学科があり私は制作科でした。制作科では、アニメ全般を学びました。原画動画の描き方や、背景、仕上げの色ぬりのコツ。もちろん制作科は制作進行養成科であるので、脚本、絵コンテなどの書き方も教わっています。

    班分けした生徒同士が協力して、5分程度の映画を作った授業が一番楽しかったですね。内容は思い出せないんですが、中身より制作過程が楽しかったです。男女同世代の班の仲間6人ぐらいで、脚本、絵コンテ、カメラワークなど相談して作るんです。やはり彼らはアニメや映像に強いこだわりがあり、知識や効果をよく知っていて、そのうち1人の男性が映像制作をリードしていくようになります。

 彼は絵コンテ、カメラワーク、演技指導など中心的に行い、制作終了後には『監督』と呼ばれてました。

 逆に私には、映像的な知識もこだわりもありません。監督の言うとおり、時にはエキストラの通行人、時にはカメラで主人公を言われるまま追いかけました。
まったくお手伝い程度しかしていませんでしたが、それでも完成したフィルムを見て微かに達成感がありました。もし次に同じことがあれば、今度はカメラワークの1つでも意見したい、そのためには映像素材をもっと見るべきと思い知ったのです。

アニメの学校は、アニメが好きなだけではなく、アニメを作るために必要な技術を学ぶ場でした。でも、どのように絵を描くか、カメラワークの方法など教えてくれません。それは、ある程度生徒たちが持っているから。
私のように、絵もかけず、単なるアニメファンとして入った人間には、アニメの作り方を知るだけで、彼らのようにそれ以上のことを学ぶことはできなかったのです。

私は一緒に映像作品を作った班員の仲間たち、特に監督には同年代ながら尊敬し、いろいろ話をして学ばせていただきました。

 ですが、専門学校卒業後、見るアニメは必ずスタッフロールに注目しましたが、彼らの名前は見たことがなかったです。今頃何をしているのでしょうか。

専門学校の学園祭

 アニメ専門学校でのもう一つの思い出は、学園祭です。
といっても、学祭用の音楽や映像制作に関わらなかった私は、1人でアニメ映画の鑑賞会にずっと入り浸ってました。学園祭は2日間あったんですが、無料で振る舞われるコーヒーと手作りクッキーを飲み食いしながら、いろんなアニメ映画を鑑賞できたのがいい思い出です。

 ただその時気づいたんです、東京に来てからほとんどアニメは見ておらず(テレビがなかったので)、見なくてもまったく苦痛に感じないってことは、人生を賭けるほど好きではなかったのかも。
とはいえ、今見ているアニメ映画は楽しく、離れることができない自分。いまさらながら、もう少し仕事や学校に慣れて落ち着いたら、将来よく考えてみようと思ったのでした。

仲間たちとの関係

 さて、ちょっと脱線しましたが、仕事の話に戻りましょう。

 学校の授業が終わったら、班員の仲間たちは遅めの昼食として、駅前のファストフードなどによりますが、私だけはこれから仕事だからと、家路へ急ぎます。
ここは新聞奨学生の辛いところで、これから夕刊を配らないといけないので、道草は食えないのです。もし、それが叶っていたなら、もっと仲間とアニメや物語について熱く語れたかもと思います。

 あと、昼食は取りません。専売所では昼食は出ないのと、学校から帰ってきたら午後3時過ぎなので、そろそろ夕刊の時間です。昼食を取る時間がありませんでした。

新聞配達の辛い時間

 午後4時ごろから配り始めるのが夕刊です。夕刊は朝刊に比べれば新聞自体軽く、部数も少ないので1時間もあれば配れてしまいます。ただ、新聞配達員にとって、本当に辛いのはこの時間です。私も最初は朝刊配りが、朝早く、寒く、眠く、しんどくて嫌でしたが、慣れてくると夕刊の時間がとても辛かったです。

 なぜなら、人や自動車の往来が頻繁で、特に自動車には、ケガこそしなかったのですが何度か接触しています。人がいるので、朝のように全力疾走できません。長い坂では、自転車を押して歩きました。

過酷な集金作業

 また、夕刊の時間は夕刊を配るだけではありません。
毎月25日から翌月10日まで、新聞代金の集金があり、これがとても大変でした。集金では、自分が配っている店や会社、個人宅に伺って新聞代金を回収します。会社や店、結婚している個人宅なら、最初の1週間で回収できるのですが、独身の個人宅はなかなか捕まらず留守が多いのです。
それでも翌月10日には9割以上回収しなければならず、時には夜9時や土日に回収したこともあります。
ある独身男性宅では、なかなか捕まらずに3ヶ月溜めていたので、朝刊配っている時に明かりがついていたので、非常識とは思いましたがその場で代金請求しました。嫌な顔をされるかなと思いながらも朝6時前の訪問に、お客は驚いてましたが、逆に代金を貯めていたことを謝ってもらって、無事回収できました。この時は、心の底からホッとしたことを覚えてます。

続く不幸とは?

 うちの専売所は小さく、従業員も店長含めて6人ほど。しかし、私が就業した時から異変が起きます。

 まず、先輩の従業員で、某有名大学の2部に通っていた人が事故で入院します。彼は店で唯一大型バイク所持者で、これで大学に通っていたのですが、大学から帰る途中に自損事故で入院し、そのまま専売所を退所してしまいました。

 次に店長の腰痛が悪化。店長はもう70歳を超えるかという男性で、とても温厚で優しい方でした。しかし腰痛が進行し入院。1ヶ月様子を見ましたが、そのまま店には戻って来ませんでした。

 実は、その店長には奥さんと娘さんがいて、その娘さんが大変美人だったのです。
娘さんは当時有名大学在学中で、私とは時間が合わずにチラリと見かけるだけでしたが、さすが東京の女性だなと変に関心した記憶があります。当時の私は仕事を覚えることと、学校のことで頭がいっぱいで、美女を見て感心はしても、ときめくことはなかったです。ただ先輩たちには憧れのマドンナだったようで、店長がいなくなるより娘さんと会えなくなるのが辛かったと、後日先輩が飲み会で語ってくれました。

【体験記④】転職サイトに載ってない転職体験(新聞配達編Ⅰ)

【体験記⑥】転職サイトに載ってない転職体験(新聞配達編Ⅲ)

 

タイトルとURLをコピーしました